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地震のあとで その1
久しぶりに村上春樹「神の子どもたちはみな踊る」を読み返した。
この”地震のあとで”と表題され1999年の新潮8月号からの連作短編5編+書き下ろし1編は
私にとって村上作品群の中で特別な1冊。
村上を読んでいる周辺の友人知人にこの1冊は村上春樹のひとつの到達点だと思う、と感想を述べると
まぁまぁの頷きが帰ってくる程度。全くだと全面同意するひとはいない。
まあ作家本人がデタッチメントからコミットメントと表して1997〜1998と「アンダーグラウンド」「約束された場所で」の
2冊のインタビューものを上梓した後での連作短編集だからね、というかんじで。

1995年のあの震災からオウムのサリン事件まで、あの数ヶ月は私にとって最も忘れられない年のひとつになった。
一人息子が春には中学進学というひとつの区切りがいよいよやってくる時で落ち着かない時期でもあった。
1月17日の朝一番のニュースで流れた神戸の街の空撮は、静まりかえった中ひとすじふたすじの煙が見えるだけで
人々の姿も動く車も見えず、まるでまだ誰も何が起きているのかわからないといった様子だった。

私は2週間後に控えていた息子の中学受験の準備大詰めでとにかく風邪を引かさないよう、ゆるまずおだやかに
日々を送らせていた。
2月の受験を終え3月はいよいよ卒業。春が近づいてきて行事に追われて、のところにサリン事件が起こった。

当時我が家は都心にあり、事件のあった路線のすべてを利用する事のある夫は実際そのうちの一路線で早朝に出勤している。
あの日の情景は今もありありと思い出せる。何かはわからないけれど地下鉄で何かが起きている、その報道を振り切るように家を出て、
わたしは学校のランチルームでほかの父兄とせっせと卒業謝恩会の準備をしていた。
担任教師が顔色を変えて「サリンらしい」と入ってきてランチルームのテレビをつけた。

後年神戸に実家のある友人が、地震の時に東京の人もほかのいろんな所の人もみんな大変だったでしょうというけれど、
あの災害の切迫感とか空気は絶対わかってもらえないと言うのを聞き、そりゃそうだ、あの日の東京の何が起きてるのか
全く理解できないままバタバタとひとが倒れて運ばれていき、道ばたに人があふれるあの光景。
学校に来ていた父兄は上の子どもや家族と連絡を取ろうとやっきになっていた。テレビに映る映像だけではあの何ともいえない
焦燥感というか、不気味さは伝わってないだろう。

その空気感はそこにいなければわからない。
あたりまえのことだ。

20年前の私は若くて自分の身の回りのことで精一杯だったし、毎朝新聞を読んでは地震で亡くなった方々の記事を読んで涙をこぼしていても
神戸のひとたちの苦しみや悲しみに共感できていなかった。
夫の兄弟は震源のすぐ近くに住んでいたし、みな関西にいたので人ごとではなかったんだけど。

それから5年後に出版された「神の子どもたちはみな踊る」の最初の5編はいかにも村上で宗教がらみだったり
人語をしゃべるかえるくんだったり出てきて淡々と語られる。それは物語と言うより情景だ。

最後の書き下ろしは出ました村上ワールドで男2人に女がひとり。カップルが出来ても3人でいる方が居心地が良くて親密で、的なおきまりのあれ。
でもね。今回はこどもがいるの。いるんだけどやっぱり別れてしまって、それでもこどもを挟んで3人のビミョーな関係は続く。
男の内のひとり、集中の仕方がわからなくてなかなか長編に手を出せない中堅の短編作家が、やっとその彼女と結ばれて、
「夜が明けてあたりが明るくなり、その光の中で愛する人々をしっかりと抱きしめることを、誰かが夢見て待ちわびるような、そんな小説を。」
書こうと決意する。
今までだったらこの別れた方の男が事故で死んじゃったり女が心を病んだりがパターンでくらーい話だったから
この「蜂蜜パイ」を読んだ時、なんだかわからないけどすごく救われた気がした。

基本的に音楽も小説も映像も、もう絶望的な状況や憤りや悲しみが満ちていても、やっぱり心の片隅に小さい小さい希望の灯火をかかげて
明日も生きていこうよ、というものであって欲しいと私は常々思っています。
村上もやれば出来るじゃない。
たぶん当時持っていたもう思い出せない鬱屈したものにちょっと風を吹き込んでくれたのかもね。

村上はサリン事件のインタビューを経験して(オウム信者とのものはフラットであろうとする姿勢は理解できたけれど
私には不快な所もあった。もとは小さな善意の団体だったはずで末端の信者はみなおとなしく自制心もあり
理想の姿を思い描きつつ修行してる的な部分を村上氏は評価というか理解しようとしてると受け取れたし。
もっとも彼は事件後帰国するまで4年に及ぶアメリカ生活をしていたからオウムの情報には疎かったんだろうと思う)
それこそコミットメントへの変貌を自覚したのだと思う。そこは大いによろしいかと。

そして同じ2000年の秋、わたしは青山で初めての小さい個展をひらいた。
布イラストレーションと称したアップリケのどうぶつたちを絵画のように額装した作品群で、
雑誌の仕事からすっぱり手を引いて自分のための何かを模索していた。
その翌年も続けて個展をしたあと、その布制作そのものからすっぱり手を引いてしまった。

今度は全く違うことをしよう。
布でなく金属で、カラフルから黒へ。
銅版画を始めることにしたのだった。
(つづく)


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神の子どもたちはみな踊る 2000/新潮社
アンダーグラウンド 1997/講談社
約束された場所で 1998/文藝春秋
 
posted by えみちゃん | 09:57 | よむよむ | comments(0) | - |
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